Italia Trip

Mr.Kのイタリア旅日記 vol.29

2025.05.26
 

Viettiファミリーの新たな挑戦

ワイナリー「カッシーナ・ペンナ・クラード」。
このワイナリーについて知っている人はそれほど多くはないはず。
日本においてはほぼゼロに近いのではないだろうか。
理由はカンタン、2〜3年前からビン詰めを始めたとても若いワイナリーで、販売も昨年から始めたばかりだ。
私も2年ほど前に知ったのだが、それまでは一切の情報はなかった。

但しオーナーファミリーとの付き合いは長い。
約10年間日本の輸入元としてフードライナーがプライドを持って販売してきた大好きな名門ワイナリー「VIETTI」だ。

彼らはピエモンテ州バローロにおいて代々続く名門であり、ワイン作り対してはとても真剣で私にとっても理想的なバローロの味わいを形にしてくれていた。
私は彼らが作る数種類のバローロが大好きだったし、バローロ以外でもバルベーラ、ドルチェット、アルネイズ、すべてのワインが大好きだった。

彼らが作るすべてのワインには共通点があった。余分なものは一切入っていないのだ。濁りのない透明感、清潔感、グラスの中のワインはとてもクリアでワインの味わいに対して余分な要素は何も感じない。重た過ぎず、軽過ぎず、タンニンの質もバローロにしては非常にデリケートでエレガントと言う表現がピッタリあてはまるワイナリーだと思っている。

しかし、そんな素晴らしいワイナリーだったが、彼らの家庭の問題で8年ほど前に畑もワイナリーもすべて他人に譲渡してしまった。相当悩んだ結果だと思う。
私は彼らからバローロについて、ネビオロと言うブドウに関して色々と教えてもらった。Viettiのワインの輸入販売は10年ほどだったが、友人としての付き合いはそれよりもずっと以前から始まっていた。

まず今年から輸入を始めたCasina Penna-Curradoについて説明をするには、どうしてもViettiに触れなければならない。
「Cascina」とは、ピエモンテやトスカーナなど主に北イタリアで多く使われている言葉で、直訳すると農家、酪農とかの意味である。
カッシーナなんとかとなると、“なんとか家”みたいな理解で良いと思う。
今回の場合はCasina Penna-Currado。(カッシーナ・ペンナ・クラード)
ペンナ・クラードのワイナリーということになる。

私達がお付き合いをしていたVietti(ヴィエッティ)は御存知の通り1800年代終わり頃から代々続いていた名門であった。しかし彼らは2016年にアメリカの大金持ちの投資家カイル・クラウズ氏に全てを売った。売ってしまった以上、Vietti家が新しくワイナリーを始めても、もうViettiとは名乗れない。
当たり前の話である。ViettiはViettiとして他人が運営しているし商標登録もされている。なので今回新しく起業したワイナリーにはLuca Viettiの奥様であるELENAの姓もワイナリーの名前に入れた。分かりやすく言うと、4代目のLUCA CURRADO VIETTIと奥様のELENA PENNAがViettiワイナリーを卒業して全く違う場所で起業したワイナリーの正式名称をCasina Penna-Currado di Luca Currado Viettiとしたということだ。ラベルの一番下にdi Luca Currado Viettiと書いてあるが、ワイナリーの名はあくまでもCasina Penna-Curradoにしている。

話は10年前の2015年に遡る。
私が親しくしているピエモンテの生産者数軒から「Viettiがワイナリーを売るようなウワサが出ているのを知っているか?」と聞かれた。私自身はそんな話は一切聞いていないので「NO!」と答えていた。しかし日を追うごとにその噂はいろんな所から聞こえて来るようになってきたので、ある日、Viettiワイナリーの中でも最も親しくしていたVietti家の長女の御主人のMario Cordero(マリオ・コルデロ)に尋ねた。

マリオは主にViettiの広報や営業を担当していた。元々、私はこのマリオとの付き合いが深く、かなり昔から友人関係であった。本当にマリオとは色々な所で出会っていた。ヴェネトの生産者のパーティーやナポリの生産者のパーティー。当然ピエモンテの生産者、BERTAやBRAIDA。マリオはどこにでも出没していた。そして会うたびに「一緒に仕事しよう!!」の連続。くり返し、くり返しViettiをフードライナーでやってほしい、と冗談とも本気ともわからない口調で口説かれていた。そして12年程前についに取引を始めた。しかし、販売を始めた当時、世界であれだけ注目されていたワイナリーにも関わらず私が思っているほどViettiのワインの販売は伸びなかった。それであれば地道にワインの良さを伝えていくしか道はなかったので、ねばり強くワインの良さをアピールして回った。結果2〜3年かかったが多くの人達に認められ、少しずつ販売数も伸びていった。さぁいよいよこれからというタイミングで先に書いたワイナリーを手放す話が耳に入ってきたのである。

そして今から約8年前、「Hi Mario, How is Vietti situation? Do you sell the winery?」と尋ねる私に、彼は少し言葉を濁した後、「YES!!」と言った。
2016年、Viettiワイナリーは徐々に分解されていった。
もちろ新しいオーナーの元、仕事は続いて行くし、ワインも同じように作られる。分解されていったのは、ワイナリーの人の問題である。先に書いたようにViettiワイナリーはヴィエッティ家とコルデロ家で運営されてきたが、ワイナリーを売って間もなくコロデロ家はViettiワイナリーから離れた。そして彼らは数年後、ロンバルディア州パヴィア郊外に新しくワイナリーを立ち上げた。このワイナリーについてはまた違う機会にくわしく書きたいと思う。

もうひとつのオーナー家であったヴィエッティ家は2016年ワイナリーを売った後も当分の間は残りワイン作りを任されていた。しっかりとした後継者が出来上がるまではワイナリーに残る約束を新しいオーナーと交わしていたのだ。最低でも5年間はルカ・ヴィエッティと奥様のエレナ・ペンナ・ヴィエッティはViettiワイナリーで働きながら自分たちの将来をしっかりと考えながら新しい土地・カンティーナ(熟造所)も同時に探し始めていた。 余談ではあるが、1800年代後半から140年以上続いて来たViettiワイナリーが2016年にアメリカの富豪クラウスファミリーに畑、カンティーナ、すべての権利を譲渡した販売価格は破格的で、それまでのバローロのメーカーの売却価格とは比較にならないほどの高値で売買されたようだ。その結果、現在においてバローロエリア、広い意味でのランゲ地方のワイナリー相場や畑の価格がかなり高額に推移し多くの生産者は苦労しているように聞く。

Viettiに関する話しはこれくらいにして、次はルカ・ヴィエッティが新しく始めたワイナリー、カッシーナ・ペンナ・クラードについて書いて行こうと思う。
乞うご期待!