Viettiファミリーの新たな挑戦2
Viettiワイナリーから完全に離れたルカ・クラード・ファミリーが考えていたことは、意外にも新しいワイナリーをつくることでも、ワイン作りを業いとしていくということでもなかった。
子供たちの将来を考えたときに、もっと違う選択肢があるのではないか?とも考えていた。たとえばホテルやレストランの経営とか色々な選択肢があるのではとぼんやり想像していたようだ。
Viettiワイナリーを売った後の5年間はそのまま仕事を続けながら家族で色々と考えていた。そんな時、モンフォルテ自治区が所有・保存していた1550年代に建てられた醸造所(カンティーナ)と出会うことになる。セッラルンガ・ダルバ地区のトップCruのひとつであるラッツァリートの丘の頂上にある歴史的な元醸造所(カンティーナ)、Cascina Lazzarito(カッシーナ・ラッツァリート)を手に入れることができたのだ。


元々はマルケージ・ファレッティ家が所有していた醸造所で歴史があり、とても貴重な建物だ。現在も建物としては残っているが、建物の中は廃墟な状態ですべてイチからやり直さなければいけない状態だった。
歴史的な伝説の醸造所を手にしたのは良いがこのエリア(ランガ)はユネスコ指定エリアであるため、建物の修理には大きな制約があり、扉ひとつにしても忠実に元の形に沿って手を加えなければいけない。だから修理は予定通りには進まないし、必要な材料・資材の調達もむずかしい状況になっている。すべてはユネスコの厳格なガイドラインに従った修理しかできないのだ。
しかしルカ・クラード・ファミリーはこのような歴史的な事柄が大好きな人たちなので、今後の第二の人生として、また子供たちに残す仕事として、Cascina・Lazzarito、現在はCascina Penna-Curradoの修復作業を楽しんで進めている。


先に書いたようにこの醸造所を取得した時点ではワイン作りをすることが一番の目的ではなかった。とりあえず手に入れて何らかの形で復元したいと思ったのが一番の理由であった。ただ実際に手に入れた建物は、思っていた以上に大きく、スケールはもちろん、建物自体が持っている歴史、圧倒的パワー、過去何百年におけるBAROLOというワインの進化がこの建物から作り出されてきた事実が、彼らの考える次のステージの構想を色々と塗り変えていったようだ。
最初は建物を改装してホテルでも、レストランでもと漠然と考えていたようだが、ホテルやレストランをしながらでもワイン作りもできるだけの大きさは十分にある。


ルカにしても、エレナにしても人生の半分以上をワインと共に生きてきたなかで、そのキャリアを全て捨てて違う人生を歩んでいくことは大変きびしく、さびしい選択になることはお互いに分かっている。
Viettiワイナリーを手放すことが決まった時点では、長男Michele(ミケーレ)と長女Giulia(ジュリア)はまだ小学生だったから将来のことは夫婦で考えれば良かった。
しかし子供たちが成長し、彼らに何を残せるかを二人で探そうとしたとき、ワイン作りを続けることが決定ではないにしろ、いつでもそこに戻れるようにこのカッシーナ・ラッツァリートという歴史的建造物をどうしても手に入れたいと感じたのだと思う。


いまではミケーレとジュリアは大学生になり、本人たちの意志で家族と共にこのカッシーナ・ペンナクラードで働いて行くことを決めている。
とくに長男のミケーレはアルバ醸造学校に通いながらワイン作りに加わっている。今年の4月に訪問した時はオーストラリアに収穫・醸造(一次発酵)を勉強するためにワイン留学に出かけていた。将来が楽しみなワイナリーが一つ増えた。次の訪問を楽しみにしている。

