Italia Trip

Mr.Kのイタリア旅日記 vol.31

2025.08.28
 

Viettiファミリーの新たな挑戦3

ルカとエレナからのリクエストでワイナリーの名前を書く場合、必ずPennaとCurradoの間にハイフンを入れるように言われている。書くと「Cascina Penna-Currado」になる。ワイナリーの所在地は先に書いたとおり、セッラルンガ・ダルバの郊外に位置しており、プルミエ・クリュと言われるラッツァリートの丘の頂上あたりにある。元Cascina Lazzarito。この丘からバローロが一望できる。360度のパノラマである。

現在、彼らの畑は約20ヘクタール。その中の約13ヘクタールがモンフォルテ・ダルバ地区にあるのだが、モンフォルテ・ダルバにありながらバローロDOCGの規定地区外となっている。非常に面白い地区である。
ただ、彼らは畑を所有せずに10年から15年の契約で全てレンタルにしている。それは、温暖化などの異常気象、環境問題への不安もあるからだ。今後、毎年データを取りながら、彼なりに「よし!」と思えるタイミングが来れば畑を買うのでは、と私は思っている。

1960年代、バローロという原産地呼称のエリア的線引き、ゾーンの認定が定められる段階で、このエリア、サン・セバスティアーノ(San Sebastiano)地区はバローロの生産地区として認められなくなり、ネビオロ・ダルバ(Nebbiolo d’Alba)の認定地区に指定された。1960年当時のこのエリアはとても涼しく一般的なバローロ指定地区に比べて平均気温が1〜2℃程度低かった。そのためこのエリアのネビオロは収穫が2週間程度遅れる。年によっては皮の色付きが悪かったり、しっかりとしたアルコール発酵が出来なかったりとやや不安定要素があった。土壌についてはバローロ地区と同じ、気候についてはノヴェッロ村のRAVERAゾーンと同じで正面がアルプスに向いて涼しく、冷たい風をダイレクトに受ける。残念ながら私は冬にサン・セバスティアーノ地区に行った事がないので想像でしかないが、1960年当時であれば冬はかなり厳しい寒さだったと思う。積雪もかなりの量であっただろう。そんな理由でこの地区のネビオロはバローロとしては少し不安定な要素があり1960年バローロの指定地区から外された。しかし、それが今となっては逆に長所となり、ルカ・ヴィエッティが考えていた「これからのワイン作り」に最適なエリアとなった。

ルカ・ヴィエッティは100年以上続いているワイナリーに生まれ、4代目としてごく自然にワイン作りの仕事を続け、名門と言われるViettiを盛り上げてきた。その結果、Viettiワイナリーは、約50ヘクタールの自社畑と約20ヘクタールの借地畑を維持してきた。それぞれの畑はバローロ認定地区の11の村に散らばっているが、Viettiのワイン作りは区画ごとにこと細かく作業をしていたので、スピードが勝負だった。そんな状況で1ヶ月以上も続く収穫時期をこなし、最終的に約55万本のワインを作ってきた。

ブドウの収穫は待ってはくれない。バローロ・バルバレスコ・ロエロのそれぞれのエリアに広がった畑の収穫のスケジュールはある程度決まっていて、確実にこなして行かなければ行き詰まる。もちろん発酵用タンクの数にも限りがある。計算通りに発酵が進まなかったり、計算通りのアルコールが抽出できなかった場合、予定は大きく崩れてしまう。全てを計算通りに進め、着々とタンクからタンクに液体を移しながら発酵→醸造→熟成の行程を一定のサイクルとしてやっていかなければいいワインには仕上げられない。それでも狂いは生じる。2週間で発酵の作業を済ませて、その発酵タンクを洗い、次のブドウの発酵に使うのだが、ズレるとタンクが空かない。計算上、2週間で完全発酵するはずの液体がそうはならない、と言いつつも収穫したブドウが毎日ワイナリーに届く。なんとかしなければならない。なんともならない。しかしなんとかして来た。

Castiglione Fallettoにあったカンティーナ(醸造所)はあまり広くないので常に作業に追われ、地下セラーもかなり昔に作られたもので「うなぎの寝床」のように細長く、動きにくそうで、手間の掛かる作業場だと思われた。あのカンティーナのスペースで50万本以上のワインを作っていた事自体に無理があった。ルカ・ヴィエッティだからできていたのだと思う。

ワイン作りは完全に化学の世界である。1+1=2これが基本で絶対だ。しかし基本になる1と思っていた素材が1でなかった場合、1.1や0.9だったとしたら、それに1を加えても2にはならない。ただし早い段階でそれに気づけば修正はできる。そういった早い段階でのチェックや修正ができるかどうかによって醸造家としての技量が問われる。やはり醸造には完成度の高い計算と経験が必要とされるのだ。もちろんルカには計算力も経験も備わっている。

しかし豊富な経験と精度の高いデータがあったとしても思い通りの答えが出ないケースや一度も経験した事がない問題に直面することがある。その結果、彼が目指すレベルに達していなかったとしても待ったなしで次の行程に進まなければならなかった。なにしろ毎日のように収穫されたブドウが狭いワイナリーに届くのだから。すべての行程を順序よく予定通りに進めなければならず彼自身が満足する手応えを得られなくても、作業工程、ワイナリーのプログラムを優先せざるを得なかったのだ。
いま思えば、それが彼の中で大きなストレスだったのだと思う。期間中に55万本相当のワインを仕込まなければならない以上、そんな所で悩んだり立ち止まったりしてはいられなかったのだろう。ルカ・ヴィエッティとして今だから話せる思い出話である。